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龍雲寺保育園 木村園長先生

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編集部 PICKUP
保育界のスティーブ・ジョブズになるのか?園長先生は人としてスパイシー
ryuimage四十路の筆者とほぼ同じ年数、国はぐずぐずと幼保一元化の議論に時間をかけてきた。この保育園はそんなぐずぐずをよそに、先代の園長先生の頃から脈々と、地域と子ども、そしてその保護者に寄り添い、子どもの環境を守ってきた歴史がある。
今回お話を伺った木村園長先生は「園長先生」というよりも「人間」として面白い。園長業にお坊さん業、そして大学、専門学校の講師も務めるという多忙な園長は、波乱万丈人生を謳歌できる人(彼のヒューマン・ヒストリーはいろいろありすぎて書けません)。彼の人生はスパイシーそのもの。香味が嫌いな人は完全否定?!受け付けないくらい。ある意味タイ料理にパクチー、韓国料理に唐辛子、龍雲寺にはスパイシー木村がなくちゃならんのです。
でもね~保育園の保育内容は間違いなく“すごい”の一言。一般的に保育園は、国が定める保育所保育指針にのっとって運営されており、一見どこも一緒と思われがちですが…いやいや。違うんですよ。彼らがスクラップ&ビルドしながら脈々と作り上げてきた保育スタイルは、たまたま入ったひなびた洋食店で食べた極上ふわトロオムライスぐらいの驚きと喜びと、たまたま見つけた奇跡に感謝したくなる。保育界のカタルシス。これを読んだら絶対見学したくなります。ちなみに保育業界の方の見学は、1年待ちの噂も。

保育目線
いろんな意味で戦う保育園。「真のこどもの城」を目指す。
DSC09483金沢市の歴史的町並みが保存されている金沢市寺町。そこにこの保育園はある。国が認めた伝統的建造物群保存地域に指定されている地域にあり、送迎する際にも、金沢の歴史に触れられる特別な街並み。
出迎えてくれた園長先生は、まんまお坊さん。しかし話し始めるとこのお坊さんが実に軽妙かつ的確に保育に関して説明してくれるのです。いわゆる保育のプロ。それもそのはず、先代から引き継いだこの園は、龍雲寺の境内の中に併設されており、当時は自宅も一緒。先代の園長(現園長の母)は戦後日本で初めて0歳児・未満児保育を行った方。戦後間もなくは早朝から働くために、子どもを境内の柱に縛り、保育をお願いしてくる保護者や、保育料が払えず野菜を持ってくるような世帯もいる時代だったとか。「自宅は境内を通して保育園と一体だったからね~、気が付いたら自分の朝ごはんは園児たちと一緒だったね(笑)」と園長「当時の社会福祉は、まさに共同体だったんだね」と。
そんな少年時代を過ごした園長先生が学び作り上げてきた龍雲寺保育スタイルは、一斉保育(担当保育士が、カリキュラムに従って規律をもって指導を行う一般的な保育スタイル)をしないことにあるという。この保育園は統合保育(健常児としょうがい児を区別なく一緒に保育)を推進し、3歳からは4、5歳児と異年齢保育(縦割り保育とも言う:異年齢の子どもを一緒に保育)を行うのだとか。子どもたちはこういう自然な生活環境で、一人一人が誰と一緒にどういうことをどんなふうに遊ぶかを考え、その遊び行動の中から関係性を学ぶという。さらに園長先生は「今の保育は、現場の保育士の力量に任されすぎているんだね。一斉保育だけでは大人からの指示命令だけに始終してしまうから、子どもが本当の意味で考えなくなってしまうんだよ」幼児の学習は、試行錯誤して探索行動によって得られるもの。それを大人側からの指示命令だけで育ててはいけない、とも。
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DSC09454確かに、この保育園で一番驚いたのは、保育士の先生方が、対面式(先生対園児たち)の接し方ではなく、まるで家族が一人一人と会話しているかのような自然な保育。その象徴的だったものが卒園までに子ども自らが作り上げる制作物。これが実は織機で、縦糸・横糸の一本一本の彩りを自分で選び、織りあげるスカートやズボンなのだ。「紙や粘土で作ってもね~。なかなか保存しておくの大変だけど、こうやって一本一本の糸を自分で選んで織り上げた、世界でたった一つだけの織物だったら、大事にとっておけるでしょ(笑)」ホントに素敵です。というか、子ども一人一人と向き合えなければできない保育。

保護者目線
経験を積んだ先生たちと、柔らか発想の保育
DSC09474 もちろん場所的に寺町と言えば、利用しやすいこともありますが、当然認可保育園なので要件さえ合えば、市民ならだれでも入園可能(空きさえあればね)。「たまたま家が近くだから登園させてます」って保護者もいるそうですが、「龍雲寺が絶対いい!」って保護者も多いとか。歴史もあり、保護者が昔通っていたという世帯も。ま、確かに。保育スタイルを見れば一目瞭然ですからね。また改装されたばかりの3歳未満児棟に足を踏み入れれば納得のハズ。子どもたちが生き生きと自由な発想で遊びの中から、おっきなものを学び取っている様子がうかがえます。以前はISOを取得し、安全や衛生面でのマニュアルを作るなど、いろいろと試行錯誤してきたという園長。「保育園って、閉ざされた環境で、他者評価ばかりなんだ。だから自己改善がなされない。そう!自己評価がない世界なんだよ。それじゃぁダメでしょ。やっぱり自分たちはこんなことができているんですと、自分自身を真に見極めないと」と自信満々。「だって、僕、一生懸命学んでるもん!」と。さらに「この園の考えは、子どもの利益が最善って言うこと」今の子ども達は籠の中で育てられているようなもの。とズバリ。
DSC09466「みんなね。子どもの遊びをなめているんだよ!不満足で遊びも妥協を強いている。もっと(子どもの感性を)感じ取ってあげるべきなんだよ」話の途中園長は、ササっと「これ相沢が作ったおもちゃ。ボーンていう積み木。知ってる?」と、相沢康夫さんという静岡の…今回は割愛。
「この(積み木の)色きれいでしょ。一人の子がこれに集中して…」筆者の目の前で園長が積み木を積み上げる。「ほら。こうやって…で、遊んでいる時にさ、もう一人が来て。」「それ使いたいぃ~っ」ダダこねる子どもを演じる袈裟を付けた園長「て、言ってきたら??一般的な保育士や親はさ。一緒に遊びなさい!って命令して、何だったら半分づつ使いなさい!なんて。ふざけたこと言っちゃうわけよ。」まっそうですかね。突然大声で「それがダメだっていうのさ!!わかる?この積み木の数や色はさ、一人の子が全部使って遊ぶから楽しく学べるのにさ、半分にしてどうやって遊ぶの!そうやって大人が決めつけちゃうのはダメなんだよ!」って、なぜか僕が言ったわけじゃないのに怒られた感。
「子どもの目線で考えなくっちゃ。不満足で遊びも妥協して、何が教育なの?何が学びなの?」こう力説する園長先生は、最近はほとんど保育の現場には関わらないのだとか。「園長業は超スーパーバイザー的役割でいいんだよ。何かあった時。僕が出ていくのさ。最終責任は園長である僕が取るんだから。わかるかな?管理された先生からは、管理された子どもしか生まないんだよ」とキッパリ。最後の砦ってことですね。何にしても、認可保育園としての機能を持った「乳幼児養護教育施設」って感じ。日本の一般的な保育園のイメージよりも、むしろ保育先進国の北欧(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)やヨーロッパの保育スタイルに近い。園長は研修で欧州へ何度も行き、玩具や遊具も自分で目で見て選んでくるのだとか。ここでも子どもたちにとってより良いものを選びたいという姿勢がうかがえます。

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園長先生からの子育てアドバイス
サイレントベビーって知ってる?例えば(子どもが)お腹がすいているのに、寝かしつけられたりする、やってほしいことがマッチングしないようなとき。泣いても無駄って子どもは認識しちゃうんだね。それがサイレントベビー。うちでも子育て支援として場所を提供してきたんだけど、利用者を見ていてつらくなるんだよ。アタッチメント(【attachment】〘心〙 乳児が母親との接近を求める行動に現れるような、母子間の愛着ある結びつき)が崩壊しているんだね。遊びに来るのは、子どもと遊びたいんじゃなくて、集まる母さん同士で、ず~~~っとしゃべっていたいんだね。子どもは蚊帳の外。それでいてアンパン○ン踊ってんだから、あれじゃ子育て支援にならんもんね。
そんな母さんたちに言ってあげたいのが、子どもを受け止めてあげて!ってこと。受け入れると受け止めるってのは違うのよ!わかるかな?「わかったわよ~」って受け入れただけじゃダメなんだね。それって、受け入れたようで受け流しているんだよ。受け止めてあげないと。子どもは気持ちがわかってくれただけで納得するんです。大人じゃできないことなんだけど。すごい能力だと思いますよ。
子育てはアグレッシブでめちゃくちゃ面白い。そこんとこ母さん父さんがわかってくれると、もっと面白くなると思うよ

編集後記
園長の取材時、私自身が何気に園児にふれあい、会話を持った。そして保育の現場を見て、私自信が感じたこの保育園の養護、教育のシステムは、一言でいえば「涵養(かんよう):水が自然にしみこむように,少しずつ養い育てること」。家庭内で健やかに育つ子どもの様子を「自然体」というならば、まさにその「自然体のまま集団保育がなされている」のが、この龍雲寺保育園のスタイルである。子どもの笑顔、お友達とのかかわり、先生とのやり取り。見た者でなければわかりにくい表現かもしれない。保育所保育指針にある「保育の原理」は現実的には目標と思われがちだが、その「実践」がここにある。近郊に住み、これから保育園選びを考えている保護者の方は是非見学に行って、私が言っていることを感じ取ってほしい。そう思わせる保育園でした。